流派とかスタイルとか最近レザーカービングに挑戦しているのですが、巷の流行はシェリダンスタイルというやつらしく、円形の花と蔓などの連続で絵柄を作っていくようです。他は無いのかというくらい、そればっかり。これをきっかけに「スタイル」とはなにかを考えてみて、ちょっと気づいたことがあるので書いてみます。レザーカービングのシェリダンスタイルは、絵柄の特徴に合わせた道具(刻印)があって制作可能なものです。 ・デザイン + 道具 = スタイル デザインの作り方もある程度体系化されています。 ・デザインパターン? 絵画的創造性が苦手であってもそれなりの作品を仕上げることができそうです。当然、個性はあってもスタイルの内側の似た感じにはなります。 他の分野でも流派を名乗る世界では、体系化された手法(know how)を学ぶ(覚える)ことで、才能の有無にかかわらず一定以上の水準の様式に沿った成果を得ることができるようになっているような気がします。 ・狩野派は、個々の作品に個性があるけどやっぱり狩野派 ・工房作品-複数の職人が工房を名乗って同系統の作品を作る。個人ではなく工房のスタイル。レンブラントとか スタイル=作風ではあるのですが、大勢が作風を学んで維持することで確立したスタイルになるのでしょう。 大勢が学んでできるようになるためには、トレーニング体系が必要となってきます。 体系化されたトレーニングでスタイルを学ぶ分野はたくさんあります ・茶道 ・武道 ・華道 これらは、スタイルではなく「流派」と言われますね。 昔は、学問も流派がありました。 そこから考えられるのは、日本の教育は、「流派」の教え方に沿っているのではなかろうかということです。 「型」を学んで、型どおりにできるとステップ毎に免状がもらえるという仕組み。 型どおりであることが大切。型からはずれるのは、免許皆伝になってからでなければならない。 つまり、「守破離」。勉強中は、「守」でなければならない。 日本人は、数百年この教えの下で物事を学んできているわけです。 型を覚えて、型どおりにすることが正解なんですね。 そして、それが正しいと信じて疑わない。 もう一つは、自分の流派に対する愛が生まれること。様々な流派がある世界では、自分の流派以外はビジネス上の敵になるわけで、当然に自分の流派すなわち「型」は優れていると主張し、他を排斥することになります。 まとめると ・日本人は、流派の型を学ぶことが、学習であり、技能を身につける手段と思っている ・型を学んでいるうちは、勝手に工夫してはいけないという教えがある ・流派同士は競い合っているので、他の流派は排斥する対象 ・外来のスタイルも流派にまとめたがる ・学校がそうやって教える。教科書と違うやり方を排斥し、進度の違いを認めない これでは、ダメだ。やるべきは ・様々な流派のやり方を知り、いいとこ取りをする ・先人の教えを理解し、最初から自分で工夫する ・流派なんて枠を守ろうとしてはいけない ・流派を立てて、囲い込んじゃだめ ・型から入るのは良い。型は型でしかない。
FirstUpload 19/09/02-15:07 : LastUpdate 19/09/02-15:07
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